蛙蓮堂 書肆部

アレンドウ ショシブ。書肆と名乗りつつ本を売っているわけではない(まだ)。本屋を巡り、本を探す。

神保町トイレ問題

給料が振り込まれて、少し多めに下ろした。夕飯の食材をスーパーに買いに出るたびに、一万円札で払って千円札を手に入れた。これも、神田古本まつりに参戦するためである。

今日から神保町で春の古本まつりが始まった。前段の行動は半年前の秋の古本まつりでのことだが、今回も似たり寄ったりだったのは間違いない。秋の方が有名で規模も大きいし、気合いも乗っていただけのことだ(古本欲が高かったのもある)。昨年の秋も今回も、仕事が忙しくてさすがに平日に行くことはかなわないのだが、前回も土日ともに参戦して思わぬ収穫を得られたし、今日もしょっぱなからいい本を引き当てたので、また今度の土日にも参戦して新たな出会いを求めたい。そもそも今日は午後から雨が断続的に降ったし、強風で店の人たちも難儀していたので、まだ半分も見ていないのだ。

ありきたりながら新型コロナももはや(感染状況などの情報が表に出なくなって)過去のものとなって、イベントなども通常通り行われることとなり、10月末の方はいつになくすごい人手で、すずらん通りのイベントも大盛況すぎてなかなかブースに近づけず、移動するのも少々難儀したほどだった。

人が多いのは、街にとっても業界にとってもいいことだと思うのだが、それ以上に、とは言ってもあくまで個人的な事情だが、困るのはトイレなのである。私も本のニオイを嗅ぐとトイレに行きたくなるクチで、本読みの中では改めて触れるべくもないが、本にまみれると、つまり新刊、古本問わず(というか人それぞれだが)本屋に行くとトイレに行きたくなるという現象が広く見られるようで、これが世にいう「青木まりこ現象」である(Wikipediaにも項目がある)。私の場合、新刊本もそうだが手垢のついた本により反応する。なので古本屋の方が腹にくるし、図書館でも腹が反応する。

神保町でお世話になってきたトイレの二大巨塔は三省堂神保町本店と岩波ホールの入っていた地下鉄A6出口の地下1階であった。しかし、今は三省堂は小川町の仮店舗に移って元の場所は更地だし、岩波ホールも閉業してトイレも使えなくなっている。ということで、現在お世話になっているのは、東京堂書店か、岩波アネックスの方の本屋 兼 カフェ、あとは書泉?(もしかして使ってはいけない?)…そんなところだろうか? しかし、これらは三省堂や岩波ビルと違って個室の個数が圧倒的に少ないのだ。。。(三省堂は複数のフロアにトイレがあったのでトータルとしても数が多かった)。

今日も東京堂にお世話になったが、春はまだ人が少ないので、数分並んだだけで済んだ。秋も、外は大賑わいということもあってトイレ事情が懸念されたのでクリティカルになる前に東京堂で早めにトイレに赴き、しばらく並んで事なきを得ている。しかし女性の方はトイレの外でも長蛇の列だったので、男性の方も同様に長蛇の列なのかと来る人みんなに一瞬の悲壮感が漂うほどであった。

昨年は京都の三大まつりに参戦したので(当然ながら古本のまつりである)、下鴨神社ではトイレットペーパー代わりの水に流せるティッシュをレトロな自販機で購入したし、知恩寺でも寺の裏の物置のようなトイレも経験済だ。が、この時はそれほど並びはしていなかった。京都では便意がどこかに行くわけでもなかろうし、関西人は便意とは無縁というわけでもなかろうし、はたまた規模がそれほどまでに違うわけでもないと思うのだが。なかなかに不思議に思う。

SNSで古本まつりの情報収集(あるいは戦果の報告)などを見るに、店側(ワゴン)の手伝いをしているような特級(=神保町の手練れ)の人々は、しれっとどこぞのトイレに行っているようだ。それか便意を催さないような体質に鍛えているわけでもないとは思うのだが、ぜひこういう方々にはどこのトイレを利用していているのか聞かせてほしいものだし、神保町も最近は店の入れ替わりがあるので、むしろトイレだけ作ってくれないかと、むしろお賽銭くらいは払うのに、などとも思ったりする。まぁこれも三省堂書店が戻ってくるまでか(とはいえ、あと2年くらいあるようではあるが)。ぜひ三省堂さんにはトイレも頑張っていただきたいなぁ、と今から謎の期待をしているところである。本の戦場(いくさば)に出ると、優雅にコーヒーなど飲む間も惜しいのだ。。。(というか、お茶するための席の確保もトイレ同様に熾烈なのだが)